国会の桜も満開です。 (2015年4月2日)
カテゴリ:活動報告
国会の桜も満開です。
いよいよ明日から統一地方選。
気合いをいれていきます。

衆議院 東日本大震災復興特別委員会
本日は9時から委員会が開催されております。
先週はこの委員会で復興全般にわたり質疑を行いました。
民主党 近現代史研究会
今朝は9時からの東日本大震災復興特別委員会出席のため、横浜線内から投稿しております。
今日の1号の投稿は、平成17年から続いている党内の歴史勉強会である「近現代史研究会」が昨日から再開されたことを、お知らせしたいと思います。
座長を務められるのは、政治の師である藤井裕久先生です。
「政治家は歴史を学ばねばならない」と言うのは、藤井先生が日頃からおっしゃっていることです。様々な見地から学ばせていただくこの勉強会は、岡田代表の呼びかけで再開され、今後月に2回ほど開催される予定です。
今回のテーマは「満州事変はなぜ起こったのか(1)」。
帝京大の筒井清忠先生が講師です。満州事変の重要性を日露、英米中、それぞれの立場から語っていただきました。
安倍政権との対立のような報道がありますが、政治的に中道な歴史勉強会です。
一般の方も参加できますので、ご興味ある方はぜひご参加ください。次回は4月23日の17時からを予定しています。なお参加希望の方は、申し込み制ですのでご連絡をください。
相模原の星 春山浩
相模原商工会議所青年部で同級生の仲間である春山浩さんが、この度神奈川県商工会議所青年部の会長に就任をされ、本日はそのお祝い会が市内で行われております。
歴代会長や先輩方や同僚の仲間の皆さんからお祝いをいただける春山さんの人望に尽きております。
本日午後の活動
中央区のきしなみ孝志相模原市議会議員と後援会の皆さんへ挨拶まわりをしております。
この「絆の折り鶴」は芸術作品です。
昨日の衆議院安全保障委員会で、民主党の大串博志衆議院議員が防衛副大臣・政務官の仕事ぶりについて質疑を行っていました。
文民統制をしっかり行うためには、副大臣・政務官による大臣補佐が重要との指摘で、ごもっともなことです。
ところが、資料によれば防衛省に1日平均2.6時間しかいないことが資料からわかったとのこと。民主党政権のときには考えられなかったことだと、髙木国対委員長からも本日の国対委員会で指摘がありました。
副大臣・政務官の中には、国会会期中によく地元で見かけるという方も聞きます。与党がこの段階(会期末は6月24日)で会期大幅延長を示唆していることや、政務三役の政治資金・モラル問題などからも、巨大与党におごりがあるのではないかと疑ってしまいます。
もちろん、役所にいるだけが仕事ではないことは承知していますが、膝をつきつけ、顔を合わせなければわからないこともあります。
今回の件をうけて、他省庁にも副大臣・政務官の働きぶりについて資料要求をしていますが、ほとんどが「提出できない」との返答。
なぜ提出できないのか納得のいく説明があるか、資料提出のあるまでは要求を続けていきます。
「影の司令塔 」安住国対という題名で、安住淳衆議院議員(宮城5区。7期)・民主党国会対策委員長代理の記事が掲載されており、その中に賛否両論ありますが安住国会対策委員長代理が名付けた「フロント5」についても触れられております。
質問趣意書 地熱発電の促進について
日本は世界第3位の地熱資源を持っているのに、発電量は未だ世界8位で、国内の再生可能エネルギーの0.1%しかありません。
この度地熱発電を積極的に推進すべきとの立場から、質問主意書を提出しました。
政府に質問したのは、次の2点です。①導入拡大の数値や時期目標
②昨年12月に政府の新エネルギー小委員会が示した地熱導入拡大における5つの課題について、具体的な支援策。5つの課題とは、国立公園内の規制や地元との合意形成、コストや期間のコンパクト化などです。
政府の答弁が戻ってきましたが、「数値目標・年次目標」は設定していないとのこと。ただし、現在政府内で将来の見通しを議論しているとのことでしたので、今後を注視します。
また、課題への支援策については、「積極的に進めていく方針」や「課題について検討」など、残念ながら具体的な回答はありませんでしたので、議論を深めていきたいと思います。
自然再生可能エネルギーの促進をこれからも応援していきたいと思います。
励みになります。
今日から新年度ですね。
国会では昨年暮から補正予算の成立や暫定予算成立、そしてこれから統一地方選・原発再稼動問題・安保法制問題・労働者派遣法改正問題など、まだまだ問題が山積しておりますが、そうした中でもホッとするのが娘からの手紙です。
つくし すくすくと育ちますように。
昨日田名塩田地区を歩いていると、アスファルトのすぐ脇に、つくしがすくすくと育っておりました。
幼い頃幼稚園に通えなかった5歳くらいまで、母とよくつくしを一緒に摘みにいったことを懐かしく思い出しました。